ABOUT US
■強引すぎたライター活動のスタート
2000年のミレニアムYearに突然思い立ち、フリーランスライターになり18年。
ムダに・・・ではなく、着々と経験を積み、たくさんの人に支えられながら、多彩な仕事をしてきました。
伝手もスキルも何もなく、勢いだけで突っ走ってきましたが、年齢的にダッシュができなくなってきました。だから瞬発力が必要なお仕事は、もうお受けしておりません。
学生時代はバブルを謳歌し、超売手市場の就職戦線を楽々とくぐり抜け、東証一部上場企業に就職。「楽々人生!」と思ったら、「24時間戦えますか?」と真顔で聞かれる戦場でした。
まぁそこには時代的な事情もあったので、恨みつらみはありません。究極だったから経験できたことが多く、むしろ感謝しているくらいです。マジで!
そんな戦場で戦いつつ、結婚もして子供も産んでますしね(*^。^*)
ライターになると決めたものの何をどうすればいいのか分からず、というか「ライターってどんな仕事なの?」という状態だったので、手当たり次第に「仕事をさせてください」と言って回る作戦で活動をはじめました。
■なぜフリーランスだったのか?
よく聞かれる質問なので、ここに書いておきます。
当時、年子の息子たちは保育園に通っていました。大病はしないものの熱を出したり、次男はそこそこ体が弱く、喘息の咳が止まらなくなったりするのは日常茶飯事。
ある夜、発熱した息子の横で私が最初に考えたのは、
「明日会議なのにどうしよう?」
でした。熱でうなされる息子の横で、仕事を優先した自分にハッと気づき、サラリーマンであることに疑問を感じたのです。
「これって、私のやりたいことじゃないな」と。
結果から言えば、フリーになった後もライターの仕事に加え、ダンナの飲食店を手伝うために子供にはさみしい思いを散々させました。でもあのタイミングで退職したことを後悔したことは一度もありません。
ちなみに、かわいくて仕方なかった息子たちは、ともに大学生となり、ただのおっさんになってしまいました。
■経歴
1969年12月 兵庫県に生まれ、花園のように美しくと「園子」と命名
(その後両親は、ただの妄想だったと思い知る)
1990年3月 神戸山手女子短期大学でバブルを楽しんだ後、難なく卒業
1990年4月 株式会社モスフードサービスに入社し、死ぬほど働く
1993年3月 なぜか突然結婚
1995年6月 かわいすぎる長男を出産し、「愛しい」という言葉を知る
1996年12月 ぷにぷにな次男を出産し、幸福感にひたりつつ育児に追われる
2000年7月 モスを辞め、突然、フリーライターとして始動
2004年2月 株式会社起業塾と専属契約
「月刊起業塾」「わたしのきれい」編集長
2005年2月 自著「屋台かふぇのつくりかた」発売
2005年7月 フリーライターとして活動再開 現在に至る
2013年1月 ライターに加え、WEBディレクターとしても活動開始
*2005年8月 西新宿にnanoというスポーツバーをOPEN。
ときどきママとして登場・笑
この写真「詐欺だ」「加工しすぎだ」と言われますが、正真正銘の私だし、加工もしていません。
ただ、7年前の写真というだけです・笑